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水戸地方裁判所 昭和50年(ワ)160号 判決

原告

諸川謙二郎

ほか一名

被告

森田うめ

ほか四名

主文

被告仙波明、被告細谷茂男及び被告飯田幸夫は連帯して、原告諸川謙二郎に対し金四、一〇六、五〇四円及びうち金三、七三三、一八六円に対する昭和四八年四月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被告仙波明、被告細谷茂男及び被告飯田幸夫は連帯して、原告諸川民子に対し金三、九〇八、五〇四円及びうち金三、五五三、一八六円に対する昭和四八年四月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被告森田うめは原告諸川謙二郎に対し金一、三六八、八四〇円及びうち金一、二四四、三九八円に対する昭和四八年四月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被告森田うめは原告諸川民子に対し金一、三〇二、八四〇円及びうち金一、一八四、三九八円に対する昭和四八年四月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被告森田裕玲、被告森田玲泉、被告森田在裕美及び被告森田裕紀子は各自、原告諸川謙二郎に対し金六八四、四一六円及びうち金六二二、一九七円に対する昭和四八年四月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被告森田裕玲、被告森田玲泉、被告森田在裕美及び被告森田裕紀子は各自、原告諸川民子に対し金六五一、四一六円及びうち金五九二、一九七円に対する昭和四八年四月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその他の請求を棄却する。

訴訟費用は原告らと被告森田うめ、被告森田裕玲、被告森田玲泉、被告森田在裕美及び被告森田裕紀子との間においては原告らに生じた費用の四分の一と右被告ら五名に生じた費用との和を二分し、その一を右被告ら五名の負担とし、その他を原告らの負担とし、原告らと被告仙波明との間においては原告らに生じた費用の四分の一と被告仙波明に生じた費用との和を二分し、その一を被告仙波明の負担とし、その他を原告らの負担とし、原告らと被告細谷茂男及び被告飯田幸夫との間においては原告らに生じた費用の二分の一と被告細谷茂男及び被告飯田幸夫に生じた費用との和を二分し、その一を被告細谷茂男及び被告飯田幸夫の負担とし、その他を原告らの負担とする。

この判決は第一ないし第六項に限り仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  原告ら

(一)  被告仙波明、被告細谷茂男及び被告飯田幸夫は連帯して、原告諸川謙二郎に対し金七、七八〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被告仙波明、被告細谷茂男及び被告飯田幸夫は連帯して、原告諸川民子に対し金七、四八、〇〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  被告森田うめは原告諸川謙二郎に対し金二、五九〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(四)  被告森田うめは原告諸川民子に対し金二、四九〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(五)  被告森田裕紀子、被告森田裕玲、被告森田玲泉及び被告森田在裕美は各自、原告諸川謙二郎に対し金一、二九〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(六)  被告森田裕紀子、被告森田裕玲、被告森田玲泉及び被告森田在裕美は各自、原告諸川民子に対し金一、二四〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(七)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(八)  仮執行の宣言。

2  被告ら

(一)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

二  当事者の主張

1  原告らの請求の原因

(一)  (交通事故の発生)

諸川和徳(以下「和徳」という。)は昭和四四年八月三〇日午後八時二〇分ころ被告仙波明(以下「被告仙波」という。)運転の自動二輪車(以下「仙波車」という。)に同乗して茨城県鹿島郡鉾田町舟木四七番地先道路を茨城町方面から鉾田町方面に向かつて進行していたが、仙波車に先行して進行していた被告細谷茂男(以下「被告細谷」という。)運転の自動二輪車(以下「細谷車」という。)がその進路の前方を左側から右側に向けて斜めに横断しようとした森田福性(以下「福性」という。)運転の原動機付自転車(以下「福性車」という。)に対し自車の左側ステツプ付近を接触させた結果、細谷車に追従して進行して来た仙波車は、右接触によつてよろめいた福性車に衝突して路上に転倒し、仙波車に同乗していた和徳は、路面にたたきつけられて脳挫傷等の傷害を受け、同年五月四日死亡した(以下これを「本件事故」という。)。

(二)  (福性の責任)

(1) 本件事故現場は県道(舗装)と町道(非舗装)とが交差する変形十字路であり、右の町道から県道へ進出しようとする場合、県道への入口が登り坂になつているうえ立木のため左右の見通しの全くきかない状態であり、また、右県道上においても同所に照明設備はなく夜間は交通の動静を注視しにくい状況にあつた。

(2) 福性は福性車を運転して前記町道から前記変形十字路へ進出し前記県道を横断しようとしたのであるが、前記(1)の道路状況のもとでは右県道上の交通の安全を十分確認しもつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、無灯火のまま右県道を斜めに横断した過失がある。

(三)  (被告細谷の責任)

被告細谷は、細谷車を運転して前記(二)(1)のような道路状況のもとで本件事故現場のある変形十字路を進行しようとするのであるから適宜減速等の措置を講じつつ前方を十分注視して不測の事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、時速七〇ないし八〇キロメートルの高速度で進行した過失により、福性車を前方一七メートルの前点に初めて発見し、そのまま簡単に接触したものである。

(四)  (被告飯田幸夫の責任)

被告飯田幸夫(以下「被告飯田」という。)は細谷車の保有者であり本件事故当時細谷車を自己のために運行の用に供していたものである。

(五)  (被告仙波の責任)

被告仙波は、仙波車を運転して前記(二)(1)のような道路状況のもとで本件事故現場のある県道上を進行しようとするのであるから自車に先行する細谷車との車間距離を十分保ち、これに対応した安全な速度を維持して事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、時速七〇ないし八〇キロメートルの高速度でしかも先行する細谷車と僅か一五メートルの車間距離をとつたのみで同車に追従進行した過失により福性車と衝突したものである。

(六)  (原告らの損害)

(1) (原告らの身分関係)

原告諸川謙二郎(以下「原告謙二郎」という。)は和徳の父であり、原告諸川民子(以下「原告民子」という。)は和徳の母であり、原告両名は和徳の相続人として同人の死亡により同人の権利、義務を各二分の一あて承継取得した。

(2) (和徳の得べかりし利益の喪失による損害)

和徳は昭和三一年五月二五日生れで本件事故当時一六歳の男子であつたが、一八歳から六七歳まで就労が可能であつた。和徳の収入は賃金センサス昭和四八年第一巻第一表の産業計企業規模計の男子労働者の平均給与額によれば年間金一、六二四、二〇〇円であり、この収入を得るために要する生活費を収入の五割とする。ライプニツツ式計算法によつて中間利息を控除する。また和徳の一六歳から一八歳に達するまでの養育費を一か月金一〇、〇〇〇円とする。

されば、和徳の養育費の現価は

10,000円×12×1.859=223,080円

であり、一八歳から六七歳までの得べかりし利益の現価は

1,624,200円×(1-0.5)×16.480=13,383,408円

である。そこでこれから養育費の現価を控除すると、

13,383,408円-223,080円=13,160,000円

となり、和徳は金一三、一六〇、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失し、同額の損害を受けた。

(3) (原告らの相続)

原告両名は和徳の父母として右損害賠償債権金一三、一六〇、〇〇〇円を各二分の一あて、各金六、五八〇、〇〇〇円を相続した。

(4) (原告謙二郎の葬儀費用の損害)

原告謙二郎は和徳の葬儀のための費用として金三〇〇、〇〇〇円を出損し、同額の損害を受けた。

(5) (原告らの慰藉料)

和徳は原告らの三人の子のうちの唯一の男子であつて農機具販売修理の家業の後継者とすべく原告らによつて愛育されてきたのであるが、原告らはその和徳を高校卒業まであと一年余という時期に失つたものであつて、その精神的苦痛は甚大である。原告両名のこの精神的苦痛に対する慰藉料は各金三、五〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

(6) (損害の一部填補)

原告らは本件事故に関し、仙波車についての自動車損害賠償責任保険金五、〇〇〇、〇〇〇円を、細谷車についての同保険金一、一九〇、〇〇〇円を受領したので、その合計金六、一九〇、〇〇〇円の二分の一にあたる各金三、〇九五、〇〇〇円を原告両名の各損害賠償債権の弁済に充当した。

(7) (原告らの弁護士費用の損害)

原告らは、被告らが本件事故による損害賠償債務を任意に履行しないので、黒沢克弁護士に対し本訴の提起及びその追行を委任し、同弁護士に対し報酬として各金五〇〇、〇〇〇円を支払う旨約束した。

(七) (被告森田うめ、被告森田裕玲、被告森田玲泉、被告森田在裕美及び被告森田裕紀子(以下「被告森田ら五名」という。)の相続)

福性は昭和四八年四月三〇日死亡した。被告森田うめは福性の妻であり、被告森田裕玲、被告森田玲泉、被告森田在裕美及び被告森田裕紀子はいずれも福性の子である。そこで福性の死亡により、被告森田ら五名はその相続分に従い、被告森田うめは三分の一あて、その他の被告四名は各六分の一あてそれぞれ福性の権利、義務承継取得した。

(八) (結論)

(1) 原告謙二郎は、被告仙波、被告細谷及び被告飯田に対し連帯して本件事故による損害賠償として前記(六)(3)の金六、五八〇、〇〇〇円、前記(六)(4)の金三〇〇、〇〇〇円、前記(六)(5)の金三、五〇〇、〇〇〇円及び前記(六)(7)の金五〇〇、〇〇〇円の合計金一〇、八八〇、〇〇〇円から前記(六)(8)の金三、〇九五、〇〇〇円を控除した残額金七、七八五、〇〇〇円のうち金七、七八〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(2) 原告謙二郎は被告森田うめに対し前記(1)の金七、七八五、〇〇〇円の三分の一の金二、五九五、〇〇〇円のうち金二、五九〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(3) 原告謙二郎は被告森田裕玲、被告森田玲泉、被告森田在裕美及び被告森田裕紀子に対し各自前記(1)の金七、七八五、〇〇〇円の六分の一の金一、二九七、五〇〇円のうち金一、二九〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(4) 原告民子は被告仙波、被告細谷及び被告飯田に対し連帯して本件事故による損害賠償として前記(六)(3)の金六、五八〇、〇〇〇円、前記(六)(5)の金三、五〇〇、〇〇〇円及び前記(六)(7)の金五〇〇、〇〇〇円の合計金一〇、五八〇、〇〇〇円から前記(六)(6)の金三、〇九五、〇〇〇円を控除した残額金七、四八五、〇〇〇円のうち金七、四八〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(5) 原告民子は被告森田うめに対し前記(4)の金七、四八五、〇〇〇円の三分の一の金二、四九五、〇〇〇円のうち金二、四九〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(6) 原告民子は被告森田裕玲、被告森田玲泉、被告森田在裕美及び被告森田裕紀子に対し各自前記(4)の年七、四八五、〇〇〇円の六分の一の金一、二四七、五〇〇円のうち金一、二四〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年四月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求の原因に対する被告森田ら五名の答弁

(一)  請求の原因(一)の事実のうち福性運転の福性車が細谷車の進路の前方を左側から右側に向けて斜めに横断しようとしたことは否認し、その他の事実は認める。

(二)  同(二)(1)の事実のうち本件事故現場が県道と町道とが交差する変形十字路であること並びに右県道上においては同所に照明設備はなく夜間は交通の動静を注視しにくい状況にあつたことは認め、その他の事実は否認する。同(二)(2)の事実は否認する。

(三)  同(三)について(答弁がない。)

(四)  同(四)について(答弁がない。)

(五)  同(五)について(答弁がない。)

(六)  同(六)(1)の事実は知らない。同(2)の事実は否認する。同(3)及び(4)の各事実は知らない。同(5)の事実は否認する。同(6)の事実は認める。同(7)の事実は否認する。

(七)  請求の原因(七)の事実は認める。

(八)  同(八)の主張は争う。

3  請求の原因に対する被告仙波の答弁

(一)  請求の原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実について(答弁がない。)

(三)  同(三)の事実について(答弁がない。)

(四)  同(四)の事実について(答弁がない。)

(五)  同(五)の事実は認める。

(六)  同(六)の事実は知らない。

(七)  同(七)の事実について(答弁がない。)

(八)  同(八)の主張は争う。

4  請求の原因に対する被告細谷及び被告飯田の答弁

(一)  請求の原因(一)の事実のうち被告細谷運転の細谷車が福性運転の福性車に対し自車の左側ステツプ付近を接触させたことは否認し、その他の事実は認める。

(二)  同(二)の事実について(答弁がない。)

(三)  同(三)の事実のうち被告細谷が細谷車を運転中福性車に接触したことは否認し、その他の事実は認める。

(四)  同(四)の事実は認める。

(五)  同(五)の事実について(答弁がない。)

(六)  同(六)(1)の事実は知らない。同(2)の事実のうち和徳が昭和三一年五月二五日生れで本件事故当時一六歳の男子であつたことは認め、その他の事実は知らない。同(3)ないし(5)の各事実は知らない。同(6)の事実は認める。同(7)の事実のうち原告らが黒沢克弁護士に対し本訴の提起及びその追行を委任したことは認め、その他の事実は知らない。

(七)  請求の原因(七)の事実について(答弁がない。)

(八)  同(八)の主張は争う。

5  被告森田ら五名の抗弁

和徳は仙波車に同乗し、同車に先行する被告細谷運転の細谷車と連隊して夜間照明のない幅員六メートル余の県道を時速約七五キロメートル以上の高速度で疾走していたグループの一員であつた。被告仙波には本件事故について過失があつた。

これに対して福性は福性車を運転して所用を終えひとり妻子の待つ自宅へと家路を辿つていたのである。

したがつて、本件事故による原告らの損害賠償額を算定するにあたり被告仙波の過失を被害者和徳側の過失として斟酌すべきである。のみならず、危険分配負担の理から考えても本件事故発生の責任を福性に負担させることは全く正義公平の理に反するものである。和徳は危険を互いに共同して甘受、容認したうえ連隊して自動二輪車の運転を敢行した集団の一員であり、原告らは、和徳の相続による承継者であるから、少くとも福性の遺族たる被告森田ら五名に対する損害賠償請求は信義則上容認されず、或いはその請求自体大幅なる制限を受けるものというべきである。

6  被告森田ら五名の抗弁に対する原告らの答弁

抗弁事実を否認する。

7  被告仙波の抗弁

(一)  原告謙二郎は、自ら及び原告民子の代理人として、昭和四八年八月一三日ころ被告仙波の代理人仙波みつ子に対し本件事故について金五、〇〇〇、〇〇〇円を超える部分の損害賠償債務を免除する旨の意思表示をした。

(二)  本件事故当日、被告仙波は、午前中自宅において仕事をし午後農機具の部品を買いに行き、右部品を被告飯田方へ届けに寄つたところ、被告飯田が和徳宅へ遊びに行つていたので、更に同人宅へ赴き、同所において被告飯田、被告細谷らと行動を共にしたのち、一且自宅へ帰り、田まわりなどの仕事をした。その後被告飯田、被告細谷及び和徳の三名が被告仙波方へ誘いに来たので、被告仙波は仙波車に和徳を乗せて和徳のバイクの修理のため岡村商会まで連れて行つた後、和徳が右修理代金を自宅へ取りに行くというので同人を後部座席に乗せ、他の二名とともに奥谷方面に戻つている。被告仙波は、他の三名とともに茨城町奥谷の望月食堂において食事をとり、途中和徳方に立寄つたうえ、再び岡村商会に赴くべく仙波車の後部座席に和徳を乗せて運行中本件事故に遭遇したものである。したがつて、被告仙波は好意的に無償で和徳を仙波車に同乗させたうえ、同人の用件を果すため同人指定の岡村商会へ運転して行く途中の事故であるから、和徳はいわゆる無償による好意同乗者にあたるものである。よつて、和徳に対する被告仙波の損害賠償責任は右の限度において免除若しくは軽減されるべきである。

8  被告仙波の抗弁に対する原告らの答弁

(一)  抗弁(一)の事実は否認する。

(二)  同(二)の事実は認めるが、和徳に対する被告仙波の損害賠償責任が免除若しくは軽減されるべき旨の主張は争う。

9  被告細谷及び被告飯田の抗弁

和徳は被告仙波運転の仙波車に同乗中に本件事故に遭つたものであるが、本件事故は被告仙波の過失をも原因として生じているのであるから本件事故による原告らの損害賠償額を算定するにあたり被告仙波の過失を被害者和徳側の過失として十分斟酌されるべきである。

(一)  和徳と被告仙波とは少年時代からの友人で常日頃交友関係にあつて日常生活上密接な関係にあつた。

(二)  本件事故当時和徳は仙波車に同乗していたが、これはたまたま和徳の自動二輪車が修理に出されて使用不能であつたため、仙波車の所有者が被告仙波であるという理由だけで被告仙波がこれを運転したにすぎない。和徳は自動二輪車の運転免許を保有していたのであるから仙波車を自ら運転してもよかつたのである。

(三)  被告仙波は、和徳が自分の自動二輪車の修理代金を自宅へ取りに帰るというので、修理を依頼した鉾田町の岡村自転車商会から和徳を仙波車に同乗させて和徳宅へ寄り、修理代金支払のため再度岡村自転車商会へ向かつている途中本件事故に遭遇したものである。したがつて、本件事故当時の仙波車の運行の目的は和徳のためにありまた運行利益も同人に帰属していた。

(四)  以上の事情のもとにおいては、和徳は被告仙波と共同して仙波車を運行していたものといいうるのであつて、行為評価の同一帰属性は肯定されるのであるから、被告仙波の過失は被害者和徳側の過失ということができる。

10  被告細谷及び被告飯田の抗弁に対する原告らの答弁

抗弁事実を否認する。

三  証拠関係〔略〕

理由

一1  和徳が昭和四八年四月三〇日午後八時二〇分ころ被告仙波運転の自動二輪車である仙波車に同乗して茨城県鹿島郡鉾田町舟木四七番地先道路を茨城町方面から鉾田町方面に向かつて進行していたこと、仙波車に先行して被告細谷運転の自動二輪車である細谷車が進行していたこと、福性運転の原動機付自転車である福性車がよろめいたところへ仙波車が衝突した結果、仙波車が路上に転倒し、同車に同乗していた和徳が路上にたたきつけられて脳挫傷等の傷害を受け、同年五月四日死亡するという本件事故が起つたことについては、当事者間に争いがない。

2  本件事故の直前に福性運転の福性車が細谷車の道路の前方を左側から右側に向けて斜に横断しようとしたことは、原告らと被告仙波、被告細谷及び被告飯田との間において争いがない。

3  成立について争いのない甲第一、第二号証、第三号証の一ないし一九、第四号証の一ないし五、第五ないし第一九号証(甲第一二、第一四、第一五、第一七号証の後記信用しない部分を除く。)、第二五号証の一ないし六、乙第一、第二号証、丙第一号証(後記信用しない部分を除く。)、証人栗崎敏雄、同久野次男、同橋倉冨美子及び同桜井正昭の各証言並びに原告謙二郎本人尋問の結果を総合すれば、前記2に判示したのと同一の事実が認められ、この認定を妨げる証拠はない。

4  被告細谷運転の細谷車が福性運転の福性車に対し自車の左側ステツプ付近を接触させたことは、原告らと被告森田ら五名及び被告仙波との間において争いがない。

5  前記各証拠によれば、前記4に判示したのと同一の事実が認められ、この認定に反する甲第一二、第一四、第一七号証の記載は前記各証拠に照して信用することができない。

二1  本件事故現場が県道と町道とが交差する変形十字路であること及び右県道上においては同所に照明設備はなく夜間は交通の動静を注視しにくい状況にあつたことは、原告らと被告森田ら五名との間において争いがない。

2  前記甲第一、第二号証、第三号証の一ないし一九、第四号証の一ないし五、第五ないし第一九号証(甲第一二、第一四、第一七号証について前記、同第一五号証について後記各信用しない部分を除く。)、第二五号証の一ないし六、乙第一、第二号証、丙第一号証(後記信用しない部分を除く。)、証人栗崎敏雄、同久野次男、同橋倉冨美子及び同桜井正昭の各証言、原告謙二郎本人尋問の結果並びに前記1確定事実を綜合すれば、福性が福性車を運転し、本件事故現場である県道を茨城町方面から鉾田町方面に向かつて進行し、本件事故現場付近において右県道を左側部分から右側部分へ横断しようとしたのであるが、このような場合には前方及び後方から進行してくる車両の動静に十分注意を払つたうえで横断を開始すべき注意義務があるのにこれを怠つて漫然右県道の左側部分から右側部分に向かつて斜めに横断した過失があることが認められ、この認定を妨げる証拠はない。

三1  本件事故現場は県道(舗装)と町道(非舗装)とが交差する変形十字路であり、右の町道から県道へ進出しようとする場合県道への入口が登り坂となつているうえ立木のため左右の見通しの全くきかない状態であり、また右県道においても同所に照明設備はなく夜間は交通の動静を注視しにくい状況にあつたところ、被告細谷は細谷車を運転してこのような道路状況のもとで本件事故現場のある変形十字路を進行しようとするのであるから適宜減速等の措置を講じつつ前方を十分注視して不測の事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、時速七〇ないし八〇キロメートルの高速度で進行した過失により、福性車を前方一七メートルの地点に初めて発見したことについては、原告らと被告細谷及び被告飯田との間において争いがない。

2  被告細谷運転の細谷車が福性運転の福性車に対し自車の左側ステツプ付近を接触させたことは前記一4に判示したとおりである。

四  被告飯田が細谷車の保有者であり、本件事故当時細谷車を自己のために運行の用に供していたものであることについては、原告らと被告細谷及び被告飯田との間において争いがない。

五  本件事故現場は県道(舗装)と町道(非舗装)とが交差する変形十字路であり、右の町道から県道へ進出しようとする場合、県道への入口が登り坂になつているうえ立木のため左右の見通しの全くきかない状態であり、また右県道においても同所に照明設備はなく夜間は交通の動静を注視しにくい状況にあつたところ、被告仙波は仙波車を運転してこのような道路状況のもとで本件事故現場のある県道上を進行しようとするのであるから自車に先行する細谷車との車間距離を十分保ち、これに対応した安全な速度を維持して事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、時速七〇ないし八〇キロメートルの高速度で、しかも進行する細谷車と僅か一五メートルの車間距離をとつたのみで同車に追従進行した過失により福性車と衝突したものであることについては、原告らと被告仙波との間において争いがない。

六  したがつて、福性、被告細谷及び被告仙波はそれぞれ加害車として、被告飯田は細谷車の運行供用者としてそれぞれ本件事故による和徳の死亡によつて生じた原告らの損害を賠償する義務があるものというべきである。

七  そこで、本件事故による原告らの損害について検討する。

1  (原告らの身分関係)

成立について争いのない甲第八、第二〇号証及び原告謙二郎本人尋問の結果を総合すれば、原告謙二郎が和徳の父であり、原告民子が和徳の母であること、原告両名は和徳の相続人として同人の死亡により同人の権利、義務を各二分の一あて承継取得したことが認められ、この認定を妨げる証拠はない。

2  (和徳の得べかりし利益の喪失による損害)

成立について争いのない甲第八、第二〇号証及び原告謙二郎本人尋問の結果を総合すれば、和徳が昭和三一年五月二五日生れで本件事故当時一六歳の男子であつたこと(この点について原告らと被告細谷及び被告飯田との間において争いがない。)、和徳は一八歳から六七歳まで就労が可能であることが認められ、この規定を妨げる証拠はない。

そして、和徳の一六歳から一八歳に達するまでの養育費を一か月金五〇、〇〇〇円とし、和徳の一八歳に達した後の収入を少くとも年間金一、六二四、二〇〇円とし、その収入を得るために要する生活費を収入の五割とするのが相当である。

したがつて、和徳の一六歳から一八歳に達するまでに要する養育費は年間金六〇〇、〇〇〇円となる。そして右養育費を一時払額に換算するためホフマン式計算法に従い年毎に民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除すれば

600,000×1.8614718=1,116,883(円)

として金一、一一六、八八三円となる。

また、和徳の一八歳から六七歳までの得べかりし利益の喪失による損害を一時払額に換算するためホフマン式計算法に従い年毎に民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除すれば、

1,624,200×(1-0.5)×(24.983632-1.861471)=18,777,506(円)

として金一八、七七七、五〇六円となる。

そして右金一八、七七七、五〇六円から前記養育費の現価金一、一一六、八八三円を控除すれば金一七、六六〇、六二三円となる。

したがつて、和徳は金一七、六六〇、六二三円の得べかりし利益を一時に喪失し、右同額の損害を受けたものというべきである。

3  (原告らの相続)

原告両名は、和徳の死亡によりその相続人としてその相続分にしたがい同人の有した前記2の金一七、六六〇、六二三円の損害賠償債権を各二分の一あて、各金八、八三〇、三一一円をそれぞれ相続したものというべきである。

4  (原告謙二郎の葬儀費用の損害)

成立について争いのない甲第八、第二〇号証、原告謙二郎本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告謙二郎は和徳の死亡によつてその葬儀費用として少くとも金三〇〇、〇〇〇円を出捐したことが推認される。そして右葬儀費用金三〇〇、〇〇〇円は本件事故と相当因果関係にある原告謙二郎の損害というべきである。

5  (被告仙波の債務免除の抗弁について)

たしかに成立について争いのない甲第一五号証、丙第一号証には、原告らが被告仙波に対し自動車損害賠償責任保険金の額を超える部分については、本件事故による損害賠償請求をしない旨の意思表示をした旨の各記載があり、被告仙波法定代理人本人も右趣旨にそう供述をしているが、右各記載及び供述は原告謙二郎本人尋問の結果に照らしてたやすく信用することができない。そして、他に原告らが被告仙波に対して本件事故による損害賠償債務の金五、〇〇〇、〇〇〇円を超える部分を免除したことを認めるに足りる証拠はない。

6  (被告仙波の好意同乗の抗弁について)

(一)  本件事故当日、被告仙波は、午前中自宅において仕事をし午後農機具の部品を買いに行き、右部品を被告飯田方へ届けに寄つたところ、被告飯田が和徳宅へ遊びに行つていたので更に同人宅へ赴き、同所において被告飯田、被告細谷らと行動を共にしたのち、一旦自宅へ帰り、田まわりなどの仕事をしたこと、その後被告飯田、被告細谷及び和徳の三名が被告仙波方へ誘いに来たので、被告仙波は仙波車に和徳を乗せて和徳のバイクの修理のため岡村商会まで連れて行つた後、和徳が右修理代金を自宅へ取りに行くというので同人を後部座席に乗せ、他の二名とともに奥谷方面に戻つたこと、被告仙波は他の三名とともに茨城町奥谷の望月食堂において食事をとり、途中和徳方に立寄つたうえ、再び岡村商会に赴くべく仙波車の後部座席に和徳を乗せて進行中に本件事故に遭遇したものであることについては、原告らと被告仙波との間において争いがない。

(二)  前記(一)判示事実によれば、和徳は被告仙波運転の仙波車への無償による好意同乗者というべきである。したがつて、この事情を考慮し、原告謙二郎の前記3の金八、八三〇、三一一円及び前記4の金三〇〇、〇〇〇円の合計金九、一三〇、三一一円について、原告民子の前記3の金八、八三〇、三一一円についてそれぞれ斟酌すれば、原告謙二郎について金五、四七八、一八六円をもつて、原告民子について金五、二九八、一八六円をもつて被告仙波の責を負うべき損害額と定める。

7  (被告森田ら五名、被告細谷及び被告飯田の抗弁について)

(一)  成立について争いのない甲第一、第二号証、第三号証の一ないし一九、第四号証の一ないし五、第五ないし第一九号証(甲第一二、第一四、第一五、第一七号証について前記信用しない部分を除く。)、第二五号証の一ないし六、乙第一、第二号証、丙第一号証(前記信用しない部分を除く。)、証人栗崎敏雄、同久野次男、同橋倉富美子及び同桜井正昭の各証言並びに原告謙二郎及び被告仙波法定代理人(前記信用しない部分を除く。)各本人尋問の結果によれば、和徳と被告仙波とは小学校、中学校時代からの友人であり、常日頃親しく交際していた間柄であり、お互の自宅を訪ね合つたり、遊びを共にしたりする関係にあつたこと、本件事故の当時和徳は仙波車に同乗していたが、和徳も自動二輪車の運転免許を保有していたところ、当時たまたま同人の自動二輪車が修理に出されて使用不能であつたため仙波車に同乗させてもらつていたこと、和徳は前記自動二輪車の修理を依頼した鉾田町の岡村商会から被告仙波運転の仙波車に同乗させてもらつて右修理代金を取りに自宅へ戻り、自宅から再度仙波車に同乗させてもらつて前記岡村商会へ右修理代金の支払と前記修理した自己所有の自動二輪車の引取とのために赴く途中本件事故に遭遇したものであること、そして被告仙波には本件事故について前記五に判示したような過失があつたことが認められ、この認定を妨げる証拠はない。

(二)  前記(一)認定事実によれば、和徳は本件事故当時友人である被告仙波と共同して仙波車を運行しており、しかも仙波車の運行は主として和徳のために行われ、その運行利益は主として同人に帰属していたものというべきである。

このような事情のもとでは被告仙波の前記(一)判示の過失を被害者たる和徳側の過失としてその損害賠償額を定めるについて斟酌することができるというべきである。

そこで被告仙波の右過失を原告謙二郎の前記3の金八、八三〇、三一一円及び前記4の金三〇〇、〇〇〇円の合計金九一三〇、三一一円について、原告民子の前記3の金八、八三〇、三一一円についてそれぞれ斟酌すれば、原告謙二郎について金五、四七八、一八六円をもつて、原告民子について金五、二九八、一八六円をもつてそれぞれ被告森田ら五名、被告細谷及び被告飯田の各責を負うべき損害額と定める。

8  (原告らの慰藉料)

これまでに判示した事実及び本件事故の原因態様など諸般の事情を考慮すれば、原告らに対する慰藉料は各金一、三五〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

9  (損害の一部填補)

原告両名が本件事故に関し仙波車についての自動車損害賠償責任保険金五、〇〇〇、〇〇〇円を、細谷車についての同保険金一、一九〇、〇〇〇円をそれぞれ受領したことは原告両名の自認するところであるから、その合計金六、一九〇、〇〇〇円の二分の一の各金三、〇九五、〇〇〇円を、原告謙二郎の前記6若しくは7の金五、四七八、一八六円及び前記8の金一、三五〇、〇〇〇円の合計金六、八二八、一八六円、原告民子の前記6若しくは7の金五、二九八、一八六円及び前記8の金一、三五〇、〇〇〇円の合計金六、六四八、一八六円からそれぞれ控除すれば、その残額は原告謙二郎について金三、七三三、一八六円、原告民子について金三、五五三、一八六円となる。

10  (原告らの弁護士費用の損害)

(一)  原告らが黒沢克弁護士に対し本訴の提起及びその追行を委任したことは原告らと被告細谷及び被告飯田との間において争いがない。

(二)  原告らと被告森田ら五名及び被告仙波との間においては前記(一)の事実は当裁判所に顕著である。

(三)  弁論の全趣旨によれば、原告らは黒沢克弁護士に対し報酬として各金五〇〇、〇〇〇円を支払う旨約束したことが推認される。

(四)  そして本件事案の難易、請求額、認容額など諸般の事情を斟酌すれば、同弁護士に支払うべき報酬のうち原告謙二郎については金三七三、三一八円をもつて、原告民子については金三五五、三一八円をもつてそれぞれ本件事故と相当因果関係にある原告らの損害と認めるのが相当である。

八  福性が昭和四八年四月三〇日死亡したこと、被告森田うめが福性の妻であり、被告森田裕玲、被告森田玲泉、被告森田在裕美及び被告森田裕紀子が福性の子であること、福性の死亡により被告森田ら五名はその相続分に従い、被告森田うめは三分の一あて、その他の被告四名は各六分の一あてそれぞれ福性の権利、義務を承継取得したことについては、原告らと被告森田ら五名との間において争いがない。

したがつて、福性の原告謙二郎に対する前記七9の金三、七三三、一八六円及び前記七10の金三七三、三一八円の合計金四、一〇六、五〇四円の損害賠償債務を、原告民子に対する前記七9の金三、五五三、一八六円及び前記七10の金三五五、三一八円の合計金三、九〇八、五〇四円の損害賠償債務を被告森田ら五名は前記相続分に応じて承継したものというべきである。

九  以上判示したところによれば、被告仙波及び被告細谷は加害者として、被告飯田は細谷車の運行供用者として、連帯して、原告謙二郎に対し前記七9の金三、七三三、一八六円及び前記七10の金三七三、三一八円の合計金四、一〇六、五〇四円及びうち金三、七三三、一八六円に対する本件事故の日である昭和四八年四月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を、原告民子に対し前記七9の金三、五五三、一八六円及び前記七10の金三五五、三一八円の合計金三、九〇八、五〇四円及びうち金三、五五三、一八六円に対する本件事故の日である昭和四八年四月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべきである。

また、加害者である福性の相続人(相続分三分の一)として被告森田うめは、原告謙二郎に対し前記八の金額の三分の一である金一、三六八、八四〇円及びうち金一、二四四、三九八円に対する本件事故の日である昭和四八年四月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を、原告民子に対し前記八の金額の三分の一である金一、三〇二、八四〇円及びうち金一、一八四、三九八円に対する本件事故の日である昭和四八年四月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべきである。

加害者である福性の相続人(相続分各六分の一)として被告森田裕玲、被告森田玲泉、被告森田在裕美及び被告森田裕紀子はそれぞれ、原告謙二郎に対し前記八の金額の六分の一である金六八四、四一六円及びうち金六二二、一九七円に対する本件事故の日である昭和四八年四月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を、原告民子に対し前記八の金額の六分の一である金六五一、四一六円及びうち金五九二、一九七円に対する本件事故の日である昭和四八年四月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべきである。

よつて、原告らの被告らに対する本訴請求を右の限度で正当として認容し、その他は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文を、仮執行の宣言について同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 下沢悦夫)

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